うぐいす家事日記

主婦歴ン十年・うぐいすによるためにならない家事ブログ

長年の疑問に答えが出た話

いい歳してこんな話もなんですが、長年の疑問に対する結論が出たので書きます。

「好きな男性のタイプは?」って聞かれて自分でもよくわからなかったんだけど、やっと結論が出た。

それは

 

「美人と不細工を差別しない男」

コレです。

 

そうだ、若い頃私を苦しめていたのは不細工な私、もしくは同レベルの顔立ちの女性に対してあからさまに差別する男だったのだ。

 

やっと、言葉にできるほどの結論を出すことができました。

サッパリした(^^)

 

ちなみにウチの夫は差別しません。

だって私と結婚んしてるんですから。

 

もちろん私もイケメンでもそうでなくても差別しませんよ。夫と結婚してるのが何よりの証拠。

 

 

他人認知能力

ウチの夫は他人の名前と顔を覚えるのが苦手なんだそうだ。

(よくアタシのことを覚えたな〜)

 

私は逆。

会った人の顔と名前とその人の特徴すぐ覚えちゃう。

その点で苦労したことは全くない。

 

…だけどさ、これが何の役に立つのかな?

保育系のお仕事とか教員だったら役立つだろうけど、残念ながらそちらの仕事には就いていなかった。(そっちの能力は高くないんだなこれが)

 

人の顔と名前は覚えられても、他のことがからきしできないんだから、なーんにもならない気がするんだよね。

無駄な記憶力はまこと役に立たない。

 

なんだかんだいって、人の名前が覚えられなくても、夫は私よりずっと事務処理能力高い。

仕事できりゃいいの。なんたってお給料に反映されるではないですか。

 

神が与えたもうた能力ではありますが、もっとちがう方向性の能力が欲しかったなぁと思うこの頃である。

 

 

 

 

 

 

 

ひとりがたのしい

子どもがみんな出て行ったのもあり、夫は仕事、ひとりでいることが多くなった。

仕事もしてないし…中年の女が引きこもり??

まずいんじゃないかと思うのだが、今はとにかくひとりが楽しい!!

みんな!私をほっといていいよ!

世間に対して叫びたいくらいである。

 

夫の単身赴任もあり、子ども3人ずっとワンオペ育児で就職もしそびれたし、頑張ってきたご褒美って事にしよう〜

(という、勝手な言い訳)

 

家庭を守ることと育児…というのがなーんのキャリアにもならない。

(お金にできる人もいるけど、私なんぞが家庭でやっていたことがそんなにプロフェッショナルな出来栄えでもなんでもない。二つ折りのゲーム機を「お母さんならへし折る」と自分の子どもに言われた勢いの育児なので、自分の生んだ子どもは通用しても、そのメソッドは他所では通用しない。他人にそこまで厳しくはできなかろう…)

 

ボーッとしてるとタダ働きさせられかねず(世間は家庭の主婦をタダ働きさせようと常に手薬煉をひいている)散々やったのにこれ以上やんのかよ?

(ボランティアという美名の元に散々やった記憶あり。もう勘弁して欲しい…)

 

そんなこと言っても寂しいと思ってる?

それがそうでもない。

ずーっとひとりになりたかった。

家にいると愚痴っぽい友達から電話がかかってくる、親が実家に手伝いにこいという、毎日子どもの友達が誰かしら遊びに来る、PTAで出かける、参観がある、塾への送迎、etc…

 

今は

愚痴っぽい友達は就職して忙しい、子どもたちは自立して出て行った、夫は仕事で忙しい、、、

これからは親の介護が待っているはず…

実家のゴタゴタも控えてるし…

でもまだ、もうちょっと時間ありそう。

 

そんなわけで今私はやっと、ひとりになれた喜びでいっぱいなんである。

だから、みなさん、私をそおっとしておいて欲しい。

自分のやりたいように、やりたいことをやれる幸せを噛みしめるこの頃である。

ああ、幸せ!

 

14歳に戻る

先日幼なじみとランチに行った。

幼なじみ…幼稚園に入る前からの知り合いなので、かれこれ50年近い付き合い。幼稚園〜高校まで一緒。田舎ってすごいねぇ…他に学校がないとこうなるわけだ。

3歳から18歳までほぼ毎日会ってたんだよ〜家族かよ?

 

食事前に、せっかく都会に出たので都会でしか買えないものを買いに行ったのだが、売ってる場所もよく調べず行ったのでまごまご…だがしかし、幼なじみの仕切り(店員さんにリサーチ…いや別に自分で聞いても良かったんだけど、いつもの調子で彼女がやってくれたわけよ)で無事目的のものを買うことができた。

 

ムムム…この風景どこかであったような🤭?そして変わらぬこの感覚…

そうだ子どもの頃にこんな風景あったわ。てか、毎日お世話になってたわ。

幼なじみは私と違って真面目で仕切れる万年学級委員だった。(私は口開けてボーっとしてるタイプ)

お互い見た目はアラフィフのオバハンなんだけど、会えば昔の関係性が蘇っちゃうんだね。

永遠の14歳…響きはいいけど見た目はオバハン。

人間、50過ぎても昔の関係性はそう変わったりすることはないんだな〜と思った日であった。家族にもそう言われた。

 

白か黒かそれ以外か

最近の小さな悩み事は

「白髪を染めるや否や?」である。

 

この歳(50歳)までロクに染毛せずに生きてしまった(家系的に白髪が遅い)ので、今更悩んでいる。

ご同輩諸姉、どうしてますか?

 

友達は20代後半から白髪染め始めたそうで「ホントは週に一度は染めたい。だけどあんまり染めちゃダメと美容師に言われ3週間に一度にしてる」んだそうだ。

3週間てのも頻繁すぎないか?と思ったけど、思い詰めてるようなので黙ってた。

知り合いは「ヘナ染め派」。

髪は痛まないんだけど、白髪が赤くなるのがどうも…魔法使いっぽい。似合う人は似合うんだけど。

 

先日の新聞に元女子アナだった方が「白髪染めやめた!」ってインタビューに答えてて、写真見たら髪の毛真っ白なの〜

随分思い切ったなぁと思ったけど、彼女もまた20代から染めてたとのこと。

髪も気持ちも疲れちゃうよねぇ。

それにしても真っ白も意外とショーゲキだった…

でも美人はいいのよ美人は。お顔がキレイなら髪はニの次なのよ。

 

顔が並以下の人はどうすりゃいいんだ…

 

いい歳したおばあちゃんの髪が黒々してるのもどうかと思ったりもする。

ムラサキとかオレンジにしちゃうか?思い切って。

 

「髪の毛の色は超絶難しいオシャレ…」って言うコラムを読んだことがある。

 

ホント難しい…

 

私も1.2度は染めたの。

色が決められないって美容師に言ったら目の色に合わせるといいんですって。

瞳の色が茶色だから茶髪。

なんだけど、キューティクルがしっかりしてる髪質なので染料が入らず、結局白髪のままの髪があった。それじゃダメじゃん

「美容師として敗北した。くやしい」と美容師は言ったがお代はちゃんと払いましたよ。キミが悪いんじゃない。

 

キューティクルがしっかりして染まりづらいならもう諦めて白髪のままの方がいいのかな?

でも並以下のルックスの女が白髪振り乱しているのもどうなのか?

わーどうしたらいいんだ〜?

で、また1行目に戻る…

思考がぐるぐる回って終わりがない…

 

 

左ききのおもいで

子どもの頃は左利きで叱られてばかり。

昭和40〜50年代ですからねぇ、まだ左利きに対する圧力?はそれなりにあったわけで…周りの大人たち、学校の先生、はては同級生にまで「ぎっちょだ!いけないんだ〜」とか言われる始末…

なにがいけないのお〜?

(ウチの親なんか鉄拳制裁だもん。そんなんで右利きになれるわけなかろうよ)

 

今は左ききも「個性」とか言うからいい時代だよな〜今の子どもがうらやましいおばちゃんである。

 

学校ではすぐにバレないように(バレると叱られるから)、字だけは右で書けるように努力(すごく字はヘタ)。

でも図画工作の時間にバレるんだよね…

絵は左じゃないと描けないもの。

よく叱られはしたけど、当時の教育界も左で図工をするのにはそこそこ寛大だったような?

(図工は得意だった。よくコンクールで入賞してたからか?)

書道はチョー苦手。

左で書くなんて言語道断!な雰囲気だったから我慢して右で書くんだけど、手がなーんかブルブル震えちゃって…上手くかけたためしがなかった…

(その数年後短大で書道講座をとる羽目になるとは…あの1年もキツかった)

高校体育でソフトボールをやるときもダメ。グローブが右利き用しかないんだもん。上手く出来ないからこれまたすっごく怒られてホントーに心の底から体育嫌いになった。(ここでも鉄拳制裁!女子高なのに!出来ないからってぶつことなかろうよ!)

ああ…思い出したら泣けてきた…

もうこのくらいにしとこ…

 

こんな目に遭っても左利きってことは治らないのよ。大人たちはわかってなかったね。

 

今はいい時代だよ。

左利き用ハサミ✂️から何からあるもんね(ハサミに関しては右利き用をずっと使っていたせいでかえって左利き用が使えないというナゾの事実…)

 

さすがに自動改札では毎回緊張しますが、なんとかしのげております。

ホントいい時代になったわ〜

 

 

 

 

手取りサラリー

結婚前は正社員で働いていたので月に1回お給料をいただいていた。

小さな会社だったせいかもしれないが、社長の趣味で給料は毎月現金で社長からの手渡しだった。

ん十年前だけど世の中はとっくの昔に銀行振込だったのに。

私は支店配属だったので本店にいる社長には滅多に会うこともなく

給料をもらう時だけ来てくれるサンタさんみたいな存在だった。

一応給料をもらう時は面談などあった気もするが、私は社長のお気に入りではなかったのでハイともらうだけだった。

社長のお気に入りになるには相当な美貌と頭脳が必要だった。わたしにはどちらもなかった。なんで入社できたのかな?

あの時の給料袋、まだ持っている。

(さすがに中身はない)

過去を引きずっているわけでもないが(額も大したことない)若い私がそれなりに一生懸命で生きて働いていた証だから、その時の自分が愛おしいからかもしれない。

あの時の社長も随分前に鬼籍の人となった。可愛がってもらった覚えは全くないが、口開けてボーっとした夢のない女の子を社会人として一歩踏み出させてくれたことには感謝している。